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叡知

シナリオの作成① - コンセプト

 

 TRPGシナリオの作成に関する知見を記録していくシリーズの第一回です。

 

 「受け手の満足度の高いシナリオを自作する」ことを重視し、それをこころざす活動の助けとなることを意図しています。「受け手」は、たいていは「プレイヤー」とみなします。

 シナリオに由来しない種類の満足度(たとえばゲームシステムによって担保される満足度や、同卓者によって発生する満足度)については考慮しません。

 

 第一回の題は【コンセプト】です。

 

 

 

最初にコンセプト=魅力を定める

 

 シナリオを作成するにあたって、最初に、最優先で定めないと始まらないのが、【コンセプト】です。シナリオ作成の基準点、すなわちそれより後におこなうあらゆる作業の基準は、この【コンセプト】です。【コンセプト】が定まらないうちは、シナリオを実際に書き進めるべきではありません。

 

 (世間一般にさまざまな定義がありますが、本稿においては、)【コンセプト】とは【そのシナリオが提示する、受け手にとっての魅力(価値)】を指します。

 

 自分が「なんらかのシナリオに対して(実際にプレイする前に)期待をいだいたとき、どの部分にどういう期待をいだいたのか」を思い出してみてください。それがおそらく、そのシナリオの【コンセプト】(が引き出した期待)です。場合にもよるものの、プレイヤー視点での「このシナリオなら○○ができる」といった形で表現できる例が多いはずです。

 言い換えると、複数のシナリオのなかからひとつを選択するとき、その選択の根拠(のうち、非機能的要素(※著者のネームバリューや販売価格など)ではないもの)が【コンセプト】です。

 

 

重要なのは受け手にとっての魅力・価値

 

 ここで重要なのは、「受け手にとっての魅力(価値)を定める」ことです。シナリオ製作者にとっての価値ではありません

 もちろん、わざわざシナリオを書く以上は、それが書く本人にとって価値あるものとなるに越したことはありません。ですから、その観点を盛り込むのは問題ない(好ましくすらある)――のですが、シナリオ製作者側にとっての価値や満足は、受け手にとっては何の意味もありません

 製作者側の価値を追求するかしないかにかかわらず、いずれにせよ、コンテンツとして重要なのは受け手側にとっての価値です。

 

 (余談:受け手の満足を度外視するシナリオをつくるなら、話は別です。たとえば純粋な練習や実験の一環としてシナリオを書いてみるようなケース(新作ゲームシステムの勘所を掴むためにやったりしますね)では、受け手の満足は問題になりません。しかし、それは本稿の主旨を逸脱するので、考慮しません)

 

 

コンセプトの要件:既知の概念に立脚した新奇性

 

 【コンセプト】=魅力・価値とは、分解すると次の3つの要件から成ります。

 

  • 受け手にとって新奇性や希少性を感じられる
  • 受け手にとって親しみがある
  • 上記2点の相互作用により、受け手が期待を抱く

 

 これをTRPGシナリオ向けに噛み砕くと、

 

  • 受け手にとって既知の具体的な概念(作品やジャンルやお約束)にもとづいている
  • そのシステムの既存シナリオ(および多数のシナリオによって作り上げられた典型パターン)と被らない

 

 ――となります。

 

 前者、「受け手にとって既知の具体的な概念(作品やジャンルやお約束)」とは、たとえば『ジョーズ』(作品)や「架空戦記」(ジャンル)や「探偵役による犯人の指名」(お約束)などのことです。

 ところで、そもそもTRPGは、(いくらかの例外をのぞいて、たいていの場合には)複数のひと同士が、リアルタイムで解釈と表現を重ねていく遊びです。しかも、(やはりたいていの場合には)その「ひと同士」がそれぞれにもつ知識や洞察にちいさからぬ差異があります。これらを前提としたとき、セッション中になされるはずの解釈と表現の〝土台〟として、それなりに普遍的な既知の概念――作品やジャンルやお約束――が必要になってきます。土台がないと、リアルタイムでの解釈・表現に支障をきたすからです。

 ルールブック(またはそれに準ずるオフィシャル性のある文献)が提供する世界設定や、システムごとにあるシナリオの「典型パターン」は、この〝土台〟の最も手近なものです。この手近な土台でもシナリオは書けますが(というかそのための道具なのですが)、それでは(後述するような、希少性の不足から)【コンセプト】を打ち出すにあたって不都合があります。よって、システムによって提供されるもの以外の、既知の概念(作品・ジャンル・お約束)をもちこむのが効果的なのです。

 

 そういった「既知の概念」を土台に、「それゆえに具体的に想像し、期待をもてる(=魅力を感じる)」要素を【コンセプト】として打ち出します。

 そのときに重要なのが、後者、「そのシステムの既存シナリオと被らない」(より正確には、すくなくとも受け手の知見のおよぶかぎりにおいて被っていると認識されない)ことです。

 本来なら魅力あるネタだったとしても、同様のシナリオを(とくに同じシステムで)過去に遊んでいれば、本来ほどには魅力をかんじられません。ともすると、マンネリ感や飽きを感じてしまう可能性すらありますし、もしそうなってしまえば満足度は芳しくないものとなるでしょう。ゆえに、新味を感じられるネタであることが重要となります。

 

 

〝やりたい〟からコンセプトへ

 

 シナリオ製作者が「○○をしたい」と思いついた時点では、それは【コンセプト】ではありません。ただの製作者側の願望であり、○○が実現されたとしても○○が実現されているだけです。つまるところ根本的な問題として、受け手の視点が欠如しているのです。

 

 たとえば、シナリオ製作者が「西部劇の決闘っぽい場面を書きたい」と考えたとしましょう。その〝やりたい〟がそのままシナリオになったとして、それは「西部劇の決闘っぽい場面がある」だけのシナリオです。

 受け手に期待される(そして期待を満足させられる)シナリオにするなら、(願望=〝やりたい〟が出発点であるにしても)それを受け手にとっての価値(=【コンセプト】)に整形しなければなりません。

 この例でいえば、「西部劇の賞金首(あるいは用心棒や保安官など)のPCをつかって、決闘によって敵との決着をつける展開を遊べるシナリオ」くらいに整えると、それは【コンセプト】と呼び得るものになります。(※「西部劇」「決闘」が、そのゲームシステムにおいてそれなりに珍しい場合です。そもそもが西部劇で決闘をするゲームシステムなら(あるいは西部劇で決闘するシナリオがそこら中にあるシステムなら)、これらは魅力とは呼べなくなります)

 

例:

  • 「映画『ジョン・ウィック』が面白かったから、TRPGシナリオにしたい」
    ⇒ 「超絶強い殺し屋PCをつかって、大勢相手に切った張ったをし続けられるシナリオ」(※「超絶強い殺し屋PC」や「大勢相手に切った張ったをし続ける」に希少性があると仮定)
  • 「映画『ジョン・ウィック2』の武器ソムリエがオモシロかったからNPCとして出したい」
    ⇒ 「ミッション出撃前の武器の調達シーンが重要(そのあとを左右する)シナリオ」(※「セッション途中での武器の調達が重要になる」性質に希少性があると仮定)

 

 

コンセプトは具体的に

 

 【コンセプト】は、より具体的なほうが好ましいものです。なぜなら、そのほうが、より明瞭で強力な期待をいだいてもらいやすいからです。

 

 上で書いた「西部劇で決闘ができるシナリオ」の例でいうなら、それを賞金首としてやるのか用心棒としてやるのか保安官としてやるのかで、期待の性質が変わってきます(――「賞金首でありながら決闘(という一種の儀式)に則って決着させる」「用心棒として武勇を遺憾なく発揮する」「危険を顧みず保安官としての職業倫理に殉じる」では、それぞれ風情=魅力がちがいますよね)。いずれであるにせよ、それが具体的ではっきりしているほうが、確固たる期待へとつながりやすいものです。

 

 これがもし「アツい決闘ができるシナリオ」くらいだと、ちょっと具体的な期待をもつのはむずかしいと考えられます。自由勝手な想像をめぐらせることはできても、それがシナリオの実態に適っているかは、かなりうたがわしい……というか、まぁ結構な割合で外しているでしょう(上記の三種の三択でも、三分の二は外しますからね)。

 〝やりたい〟衝動を洞察・分解し、「映画『○○』の○○の場面みたいなアツいシナリオにしたい」であるとか、「特定の既存PC(熱血漢)を招いて映えるシナリオにしたい」であるとか、「クライマックスでPCが敵に対して決め台詞と銃口を突きつけるシナリオにしたい」であるとか、「『○○』という曲が似合うシナリオにしたい」であるとか――そういった具体性を見出すことで、それを受け手にとっての価値に整形できます。